カラリストが語る“映像の感情設計”
『ブレードランナー2049』は、単に美しい映画ではない。
この作品の色彩が“記憶に残る”理由は、極端な色設計を徹底的にロジカルに制御しているからだ。

撮影監督ロジャー・ディーキンスは、画面内のスペクトル情報まで計算して光を構築する。
オレンジやブルーのトーンは「印象」ではなく、波長バランスで定義された感情表現だ。
言い換えれば、照明とカラーグレーディングの間に“人間の知覚設計”が挟まっている。

1. オレンジとブルーの二項対立は「色温度構成」から生まれている
本作で最も印象的なのは、オレンジと、シアンブルー。
この対比はよく「補色」と言われるが、実際は補色関係にはない。
ディーキンスは色温度の差を約5000K以上に設定している。
- オレンジ側:約2500K前後
- ブルー側:約7500K前後
この差によって、視覚的には“補色”に感じるが、物理的には光源のスペクトル差による心理的色相差が生まれている。
つまり、「オレンジ=温もり」「ブルー=冷たさ」という単純な象徴ではなく、光の周波数差によって人間の記憶回路に異なる刺激を与えている。

Davinci Resolve上で見ると、ベクタースコープの軌跡が完全に対称ではなく、やや赤寄り/緑寄りに崩してあるのが特徴。
これが、どこか現実感のない“人工的な空気”を生む原因だ。
2. ディーキンスがやっていたのは「露出ではなく反射率の制御」
多くのシーンで照明が異様に抑えられている理由は、単に“暗く撮る”ためではない。
彼は被写体の**反射率(Reflectance)**を意識してライティングしている。
たとえばオレンジの砂塵シーン。

あの環境光は実際に強力なナトリウムランプを霧越しに照射し、物理的に全反射を起こさせている。
これにより“光の立体感”ではなく、“粒子の拡散”を記録している。
デジタル的には明部を圧縮しているが、情報量としてはむしろ多い。
Resolveで再現するなら、Liftを0.01上げるよりもGammaを滑らかにカーブ処理し、Luma Mixを60〜70%に設定するほうが近い。
ディーキンスはその感覚を照明側で作っている。
3. 「情報の削減」で感情を誘導するグレーディング哲学
『2049』のルックは、情報量を削る方向で構築されている。
特に顕著なのがハイライト抑制(Highlight Roll-off)。

多くの映画がHDR的に“ダイナミックレンジを拡張”するのに対し、
この作品ではハイライトの白を潰す方向に動いている。
なぜか?
理由はシンプルで、「観客の視覚情報処理量を減らす」ためだ。
ハイライトを抑えることで、視線が被写体の中間階調に集中し、“人の存在”に焦点が固定される。
これは心理的に「静けさ」「孤独感」を増幅させる。
Davicni Resolveで再現するなら、Contrastを低めに設定しつつ、Pivotを下げてMidtone Detailをマイナス方向に。
これで“静かな画”が作れる。
4. “色彩=感情”ではなく、“色温度×情報密度=記憶”の設計
ブレードランナー2049の色彩が記憶に残る理由は、「色そのものが感情を代弁しているから」ではない。
正確には、色温度差と情報密度の設計によって“記憶の再生パターン”を刺激しているからだ。

人間の脳は、高色温度の光を“知覚的現実”として処理し、低色温度を“記憶的映像”として処理する傾向がある。
つまりディーキンスは、記憶を人工的に再現する照明設計をしている。
この発想は、単なるグレーディングの美学ではなく、神経心理学的に裏付けられたビジュアルデザインに近い。
5. 現場での応用:感情ベースではなく“情報設計”でルックを決める
僕自身、MVやCMの現場でこの哲学を取り入れている。
「寂しいから青くする」「温かいからオレンジにする」ではなく、
どういう情報量で感情を伝えるかを考える。
たとえば、
- 照明を落とすのではなく、拡散反射の質を変える
- コントラストを下げるのではなく、シャドウノイズの密度をコントロールする
- 彩度を下げるのではなく、特定波長を抑える

こうした設計思考で映像を作ると、作品が“美しい”を超えて“記憶に残る”方向に進化する。
結論|“色”は感情ではなく、情報の配列である
『ブレードランナー2049』の色彩は、感情表現ではなく情報処理設計として構築されている。
つまり、ディーキンスは「色で感情を伝える」のではなく、「情報を削って感情を浮かび上がらせている」。
この思想こそが、現代の映像制作における最も本質的な“感情設計”だと僕は思う。

コメント